家ではほとんど動物性のものは摂っておりませんが先日はお正月にお呼ばれしたステーキ以来3週間ぶりのお肉を食べに行きました(もちろんランチね)。
そう、確かにミートハウス能勢はホントにおいしかった。
よつ葉という自然食品の宅配で扱われているお肉なのだそうですけど(うちも宅配を利用しています)、やはりいわゆる普通のチェーン店によくあるギトギトお肉に化学調味料のタレで食べすぎたら「・・・ウウッップ・・・」ってなる胸焼けするものとは違いました。
これでまた焼肉なら「ココ」っていう自分の中での駒がひとつ増えたようでうれしいです。
なんだかんだ言ってもオーガニックの世界はうまいもんの宝庫です。
何が違うのでしょうかねえ?飼料は要素として大きいんでしょうけど。
ちなみにぼくはホルモン定食を頂きました。
こういうところのホルモンなら絶対うまいはず、って踏んで。
で、レバーも臭みがないので抵抗なく食べることができ、あとはクニュクニュしたやつやらテッチャンも、ついでにスープまで美味しかったです。
冷麺も3人で食べたのでお腹いっぱいですが食後感はあっさりすっきり。
そのあとスーと話したのですが焼肉とか揚げもんとかケーキとかカロリー高めの美味しいものって「油」や「脂」の質でぼくらの思う「おいしいからまた食べたい」の要素になるかどうかの大きな分かれ目なのかな、とかなんとか。
ぼくらも空腹ならジャンキーな食事も「おいしい」とは感じますけど、それは最初だけで、そのあと満腹になった後「また食べたい」にはつながらんのですよね。
まあとにかく「食べ歩き」はお金と時間があればやりたいもの、贅沢ですよね。
それにしても未だ「ラーメン」だけは美味しい店食べたことないです。
やはり化調抜きにはラーメンは語れないからでしょうかね。
そうそう、みなさん、最近のティッシュペーパーってやたら中身が詰まってませんか?
使い始めの何枚かは引き出すときビリッってちぎれちゃったりしません?
まあどうでもいいんですけどね。
先日「芋たこなんきん」を見ていると主人公のマチコが小説家志望の妻子ある男性に「小説家っていうのはそんな甘いもんやないんです!」と強く言ってその道をあきらめさせようとする場面がありました。
なんだかぼくはちょっと違和感がありました。
これから何かをやろうとか、そういう人になぜそういうことを言えるのでしょうか、と。
たとえその彼がその時点で書く小説がマチコの考える小説というものの範疇でなくそれが理解できなくてもやめさせようとする意味がよくわかりませんでした。
本当に訳わからん小説でもそのひとにしか決して書けないものなら芸術ってアリやと思うんです。
判断するのは読んだ人でその小説が「好きかどうか」小説家の描く宇宙が「好きかどうか」それがすべての世界です。
その宇宙を拡げ極めるためにはあきらめさせるのではなく「継続させる」ことが大切やのになあ、と音楽を続けてきたぼくはとっさに感じてしまったのです。
まあ「そんなに甘いもんやない」のセリフには視聴者に向かって「小説書くのってこんなにすごいことで真剣にがんばってんねんで」と言いたいのでしょう。
子供のころ、何気なしにぼくは「コピーライターってどんなんやろ、なれるかな?」と言ってみたことがありました。
いや、別に本気で言ったわけじゃないですよ、ちょっと興味あるかも、って程度です。
そうすると親は「いや、あれはそんな簡単にできるもんやない」と言って、それはそれで終わりました。
芋たこ~の「そんな甘いもんやない」と同じような場面です。
まあその後も、もし本気であればなんとしてでも、と思ったかもしれませんが親の言葉は子供にとって信じるすべてですしそれ以上の気持ちはなかったですからその気は消え去ってしまいました。
でもそんな経験から自分の子が何かに興味を持ったならぼくは否定的に言うよりも「やれるって!きっとやれる」と肯定的に言ってやりたいし、子供では自分でなかなかできない情報や知識を得る手助けをしてやれたらなぁ、と思います(甘やかすつもりはないですよ)。
マチコはその男性が妻子ある身であることにこだわっていたようですが年齢や世間体にしがらんでいるようではそのしがらみの中のものしか書けないと思うのです。
そういうことからも田辺聖子さんというのは世間の中での小説家さんなのでしょうね。
まあいわゆる「売れる」作家とは音楽でいう歌謡曲と同じなのかもしれません。
とか言いつつも毎日「ひと~りーよーりー」って楽しんでおるんです(主題歌ね)。
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