さとしぼんの葛藤
画像はしばらく前に年賀状用に撮った中のアウトテイクです。
セルフタイマーをセットしてササッとスーの横に座るのですが何回やっても玄はバタバタ動き回る僕の方を向いてしまいレンズを見ようとしないので僕は「もう!」という表情をしている、というわけです。
先ほど4チャンネルを見ていましたら関口宏が司会で世界の貧困と格差についての内容の番組をやっておりました。
もっともらしいことをやっているわけですが、それならなぜ同じ4チャンネルは金持ちバンザイ、マテリアル社会バンザイ的なバリバリバリューという番組を作るのでしょうか、とスーが言い、僕もまったくその通りだと感じました。
メディアというのはいつの時代もスタンスをはっきりさせなければいけない、と考えます。
カメダ問題?のときもスタンスを一貫しないメディアに多くのひとは不信感を抱いたことでしょう。
何かを支持するならする、しないならしない、立場を継続しないと「ああ、このヒト(メディアでも可)はモノを見る目がないんだな、アイデンティティに欠けるな」と僕は感じます。
大阪で見る8チャンネルや10チャンネルに対して4や6は大衆迎合的に映ります。
世間が右よりに傾くと「最近はそうした方がウケルんやな」という感じで平気でそっちに乗り換えるように見えることもあります。
今年は「日本のしきたり」に関する本がベストセラーになったようですね。
あの本、うちにもあるんです。
といっても今年買ったわけではなく5年くらい前、本屋に取り寄せてもらい購入しました。
世間より5年進んでるってこと?とかちょっと思ったりして。
でもそうあって、そうなって欲しいな、と思います。
ハナシは少し変わりますが一般的な観念として男はハングリーに仕事して、他人より多く稼いでガムシャラに仕事して、が男としてあるべき格好良い姿として未だに認知されているように思いますが、僕はやはり受け入れることができないなぁ、と感じます。
今の会社でも「成り上がりたい」「給料もっともっと欲しい」「その結果が幸せ」という体育会系の方々が結構います。
「要るものだけ」がキーワードの僕らにとって生活するのに必要以上の収入は無駄なものに感じるのです。
もちろん必要以上の購買も、将来ゴミにしかならないと思います。
今日本は明らかに必要以上のものを地球、諸外国からむしりとっているように感じます。
ビジネス、という言葉で正当化された企業のむしりとり、消費者に対しての心理、陽動作戦は僕には肌に合わないようです。
ビジネスというゲームはよほど注意しないと対ヒトに行われながらそして環境を破壊していきます。
対ヒトにではなく、対植物、対動物、対環境に行われる農産、狩猟という動物としての原始的とも言えるゲームの方がきっとおもしろく、僕には合っているのでしょうがそれを今やれるほどの変換をする勇気もない自分が情けなく思います。
実際こうして普通人として享受しているわけですから。
ですからせめてもの、ということもありそういった方々を支援するためにも配慮されたモノを買います。
新しく知り合った方とオーガニックという話題になると「おいしいのかも知れないけど、でも高いよね」とかなり高い確率で少し否定的なニュアンスを若干含めて言われます。
自分の知らない世界に対する警戒心も見え隠れします。
より一般的に認知され、少しでも理解ある国になってほしいと思います。
安倍さんの「美しい国へ」というタイトルの意味が分からない、といった意見をテレビで聞いたことがあります。
そういう方は何が美しくて何が美しくないのかさえも自分で判断できないのでしょう。
感性がない、ということでしょう。
早く五月丘を復活させて感性を刺激させることができたら、と楽しみにしています。
久しぶりに辛い内容になってしまいまして失礼。
ではまた、カモン来年、シーユー今年、人間大好きさとしぼんより。
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